「商品秘話」

寒干しラーメン誕生秘話 前編

2018.02.28

新しい麺づくりを求めて

昭和58年、晩秋。兵庫県揖保川のほとりに、まもなく還暦を迎える森一がたたずんでいました。キラキラと輝きながら流れる、澄んだ水面。南を仰げば揖保川の源流となる藤無山(ふじなしやま)が、穏やかな姿で横たわっています。ここは播州小麦を使った手延べ素麺の名産地。菊水創業者 杉野森一は、ある思いを胸にこの地を訪れたのです。

森一が初めて製麺に携わったのは昭和21年のこと。敗戦直後の食糧難のときでした。厳冬の地である道北の下川町で創業し、札幌、江別と拠点を移しながら、独自の信念のもと麺づくりに人生を傾けてきました。

時は流れ、日本がバブル期を迎える頃。森一の心に、ふと疑問がわきあがります。「本当にこのままでいいのか。菊水の看板となるような力強い商品が必要ではないのか…」。食糧難から高度経済成長期を経て、ただただ量産を掲げてきた売り手市場の消費傾向が、不動産の高騰のみならず、人々の嗜好や食生活まで変化していました。「時代の波がやってくる」。そんな予感めいたものがあったのでしょう。新しいものを見いださなくてはという思いに駆られ、森一は旅に出たのです。

おじいさんとの出会い

揖保川の周辺には、今も昔ながらの製法で自宅用の素麺を作る農家が点在しています。その一軒一軒を歩きながら、ある農家の庭先で足を止めました。そこには手を休めることなく素麺を手延べするおじいさんがいたのです。しばらく眺めていると、おじいさんから声をかけてきました。
「おや、どっから来よったかね?」
森一が北海道から来たことを告げると、おじいさんは目を丸くして驚きました。「こんなとこまで、ようはるばると…。で、何しに来よったかね?」
北海道で製麺をしていること、急激な時代の流れのなかで迷いがあること、けれど麺づくりに対する自分なりの思いがあることなど、胸の内を明かしました。ポカポカとした小春日和の縁側で、初対面のおじいさんと肩を並べる森一。ふんふんと耳を傾けていたおじいさんが、たったひと言、空を見つめて言いました。
「小麦の力を活かしなはれ」
その瞬間、森一は頭に鉄槌を下ろされた気持ちになりました。コストや効率、合理化を図る従来の機械式は、小麦粉の持つ特性を殺してしまう製法ではないのか? 原点に帰って見直しなさい。そう言われたも同然だったのです。

【写真:丁寧に手織りで木枠に入れられた麺。これからじっくり寒干しになる。】

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